私が北朝鮮にハマった訳 ━チョソン・ライフ・ヒストリー━

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私は日常的にモランボン楽団をはじめとするNK-POPを愛聴している。また、半年前には北朝鮮にも赴き平壌の街を見てくるなど、筋金入りのチョソンクラスタだ。

チョソンクラスタと言うと何かの特定のコミュニティのようだけど、単に北朝鮮趣味者程度の意味だ。

周りの人に北朝鮮に興味があると言ったり、実際に北朝鮮を訪れたことがあるなどと言うと、「あなたはなぜ北朝鮮に興味なんか持ったのか」と言われる。

なので今日は私がなぜ北朝鮮にハマったのかという経緯を語ることとしたい。

契機は日朝平壌宣言前後の大量の北朝鮮報道

きっかけとしては2002年の小泉純一郎内閣総理大臣の訪朝だ。日朝平壌宣言が調印され、金正日総書記が日本人拉致事件北朝鮮が関与していることを認めた時だ。拉致被害者の一部の帰国が実現されたことも記憶に新しい。

一方で2003年には北朝鮮がNPT脱退を宣言するなど、世界でも悪い意味で北朝鮮に注目が集まる、そんな時期でもあった。
この時期、日本のマスコミは連日北朝鮮の事情を報道していた。将軍様を讃える歌、強制収容所での強制労働、朝鮮中央テレビの強面なアナウンサーにアリラン祭でのマスゲーム、そして少年律動体操

おそらくマスコミにとっても北朝鮮は良いコンテンツだったのだろうと今は思う。朝と夕方のワイドショー、夜のニュース番組そして深夜番組でさえも北朝鮮に関するトピックスを扱っていた。

その頃、私は多感な小学生。日本とはまるで異世界で、日本にとっての脅威であると言われる一方、どこか楽しそうな北朝鮮の文化をマスコミを通じて見せつけられることは、私にとっておもしろ体験でしかなかった。テレビに北朝鮮が映ると食い入るように見入っていた。

また、この時からインターネットに入り浸っていたことから、「金正日秘宝館」*1などのチョソン趣味サイトを発見し、朝鮮音楽のmp3をダウンロードして狂ったように聴くようになった。チョソンクラスタ的な行動を取るようになったのは恐らくこの時だ。

ちなみに金正日秘宝館(jongil.info)はなぜか今、喪中ハガキのアフィリエイトサイトになっている。

小学校では給食時の放送で「あなたがいなければ祖国もない」を流し先生に叱られ、プリントアウトしたチャングンニムの肖像を黒板の上に貼っては担任から親に電話されるなど、ただ事ではない拗らせ方をしていた。


www.nicovideo.jp

この時流した「あなたがいなければ祖国もない」は、誰かが作ったFLASH作品にも使われていたために、わりと知っている人は多かった。

しかし懐かしすぎる・・・

共産趣味を発症しチョソン以外にも革命の門戸を開いた中学校時代

中学校に入ってからは、チョソンへの熱は少し下がったかのように見えた。ところが中2になりクラスメイトとエアガンで遊ぶようになってからは少しミリタリーの趣味が生じ、MEDIA GUN DATABASEを見ながら銃器の名前を覚えたり、それらが活躍する映画を視聴するようになった。

その時気に入ったのはAK-47でありトカレフであり、映画スターリングラードだった。
あゝ血は争えない。すんなりと共産趣味になった。(もちろん、映画フルメタルジャケットや、M16、MG40といった銃も好みではあった。)

その流れでソビエトの軍歌や革命歌(インターナショナルとか)をアホのように聴くようになった。もちろんチョソン音楽も聴いていた。音楽はモンゴル800よりモンゴル国歌だった。

共産趣味氷河期だった高校時代

高校に上がってもそんな調子でいるつもりだったが、クラスメートの運動部女子がチェ・ゲバラのTシャツを着ているのを見つけ、仲間がいたかと思って「それwwwゲバラじゃんwwww」と興奮気味に話しかけたところ、彼女はチェを知らず、「何それ?」となり、

「えっ・・・キューバの・・・革命指導者・・・」
「あっ・・・そうなんだ(ドン引き)」
「」

というトラウマ経験をしてからは、ここは共産趣味の崇高なる理想を解せぬ犬畜生にも劣るネズミの学校なのだという確信を強め、あまり共産趣味の無い3年間を過ごした。入院したクラスメートに『マンガ金正日入門』を差し入れてゲラゲラ笑われるとか、その程度だった。

相変わらず普段聴く音楽は半分くらいチョソン音楽やソビエト軍歌だった。

アカデミックなチョソン趣味との出会いと訪朝

浪人を経て大学に上がると、ひょんなことから礒﨑 敦仁准教授の『北朝鮮入門』*2を読み、チョソンへの熱を再び上げた。やはり私の興味はここにあると。
それ以来、大学生活ではちょくちょくと『北朝鮮 伝統と社会主義の共鳴』『2つのコリア』などの、アカデミックなチョソン関連本を読み漁っていた。

自由選択科目の韓国語を履修しようと試みるも、受講生がみんな南朝鮮ポップスを趣味とする姉ちゃん達だったことに加え、ソンセンニム(先生)が朝鮮民主主義人民共和国北韓*3と言い張ることに中立性を欠いているとかいう感覚を覚え講義から足が遠のいていった。この時ハングルがゆっくり読めるようになった。

以後、何度か北朝鮮への渡航を計画するも、費用の高さや時季の悪さやビビリなどから断念していたが、4年次の最後の最後に渡航するチャンスが生じた。念願の平壌を訪れ、本当に胸がいっぱいになり力が湧いてくる気持ちだった。

 

そして今に至るが、こうやって振り返ると半生をかけてチョソン趣味者としてのアイデンティティを形成して来たわけである。

はじめての訪朝を通して経験や趣味を共有する人も身の回りに増えて、最近はブログに訪朝記を書いたりしてどっぷりハマっているけれど、決して一朝一夕で始まったものではないのだなあ。

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*1:金正日秘宝館」…既に閉鎖されている。アーカイブはこちら→JFDA Annex [金正日秘宝館]

*2:北朝鮮の概要を知るためには紛れも無く良書なので、おすすめする。

*3:北韓」 “韓国”語なので表現としてはまぎれもなく正しい。

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